投稿

2月, 2026の投稿を表示しています

井上有一『日々の絶筆』を読んだ。

  井上有一は、故人ではあるが、依然として現代を代表する書家である。書が前衛芸術であることを前面に打ち出して、社会的に認知させた人物である。つまり、書について語る場合、後々まで省くことのできない重要な存在である。  井上が自分でもいっているように、現代の書家といえば、裸で箒ないし箒のような筆を持ち、墨だらけになって巨大な字を描く人、というイメージがあるだろう。このイメージは、この人が作り上げたものだといってよい。写真家の繰上和美の撮影した、この人の肖像写真は、この人の強烈な個性を、見事に表現している。  この人の作品は、前衛的で、通念的な書の作品とはかなりイメージが違う。しかし、わかりにくいかというと、まったく逆で、誰が見ても、その優れた造形はすぐに受け止められるはずである。乱暴なようで、繊細、要するに表現者としてセンスがあり、多くの人を圧倒的に納得させる力を持っている。狭い書の概念に拘っている人でなければ、多くの人が井上有一をすぐれた芸術家として認めるにちがいない。  わたしは、一時期、一休の詩を読み、中世の禅宗について学んだ。その経験から、この人の書をあらためて認めることになった。この人の書には中世の禅僧の墨跡も大きな影響をしている。とくに、大燈の影響は大きいと思う。この人の書を見ることは、日本の禅宗の有り様を学ぶよい方法であるように思う。その基本は、常識を打ち破る志向である。  それにしても、この人は純粋芸術とか書道芸術などという言葉をストレートに使っている。現在の芸術家では、こうした言葉をすっと使える人は少ないだろう。マンネリを否定し、定型を打破し、自分の内面を信じる姿勢は、昨今では後退したといえる。著者の文章の背景には、1950年から1970年代くらいの、異常に熱い時代が存在する。乱暴にいえば、ジャズのコルトレーンのサックスの演奏に似通った気分である。前衛という言葉が輝きを持っていた時代である。  それを思い返せば、今は、妙にお行儀のよい芸術が蔓延しているような気もする。 2026/02/08