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7人制の競輪

  わたしは長い間、熱心な競馬ファンだった。しかし、15年ほど前、すっぱり止めてしまった。競馬は面白い遊びだが、思うところがあっったのである。今では、G1優勝馬の名前する分からなくなった。競馬を止めた頃、競輪を少しやってみた。しかし、競輪では推理を楽しむ時間が少ないし、そもそも推理する要素、情報が少ない。おまけに当たらないので、だんだん疎遠になってしまった。  最近YouTubeのおすすめ動画に競輪関連のものがよく出てくるようになった。あれは、一回見てしまうと、次々と紹介されるようになる。それを見ているうちに、なんとなく違和感を覚えた。なんとなく淡泊なのである。その原因を考えたら、選手が7人しかいないことに気づいた。以前の競輪は原則9人であった。それが7人なのである。以前も女子の競輪、ミットナイト開催の競輪は7人だったが、今は7人制が原則らしい。どうも、コロナの時密集を避けてこうなったらしいい。コロナが下火になっても、7人制がつついている。  9人制でレースを行うと、3人づつの3グループに分かれることが基本となる。競輪は個人競技だが、選手はレースごとにラインと呼ばれるグループを作り、協力して戦うのが原則なのだ。このライン戦という形態は昔はなかったらしいが、わたしが物心ついた頃にはすでにこうなっていた。これは、選手同士が協力するので、昔気質の人は「ずるい」「八百長だ」と感じるようだ。  こういう形態になるのは、競輪という競技の構造によるものである。競輪は、9人の選手が、バンクと呼ばれる競技場を4ないし5周回して勝負を決める競技である。こういう競技では、先頭を走る選手は風を受ける不利がある。そこで、先頭の選手、二番手の選手、三番手の選手がグループを形成し、先頭の選手が風よけとなり、三番手の選手は後ろから来る他のラインの選手をブロックする役割を担う。中心になるのは二番手の選手である。三つのラインが縦に並んでレースが進む。先頭を走るラインの先頭選手が、あまりに不利な立場になってしまうから、前半は自分は勝負に関係ない、誘導員という選手が先頭を走ることになっている。そして、残り二週になったとき、この誘導員は待避する。すると、先頭ラインの先行選手が風を受ける。たいがい、その瞬間を狙って後方のラインが上昇してくる。多くの場合、先行したラインは後方へ下がり、巻き返しを狙う。こ...

中国経済の現状

  5月8日の朝日新聞朝刊に、YouTube上でビジネスとして嫌中動画が垂れ流されているという記事があった。こういう動画は事実に基づくのではなく、嫌中意識を盛り上げたい人に喜ばれることを目的にしている。わたしは、中国関連の動画をよく見ているので、それに混じって、朝日が問題にしているようなお粗末な嫌中動画もおすすめに出てくる。中国人が海外で非常識な行動をとり、叱られるというものが多い。まあ、これには一部、事実も混じるので根も葉もないとはいえないのだが、やはり嫌中感情に乗っかったフェイクといえるだろう。  中国は、長年、日本より経済水準がはるかに低かった。それが、急激に上昇し、経済規模で日本を追い抜いた。その事実が、嫌中感情の背景にある。ここで重要なことは、こうした感情の水準を離れて、中国の現実を認識する必要がある。  しばらく前、中国の昨年のGDPの伸び率が5%だったと、報道された。これは、かねて中国政府が掲げていた予測値とぴったり一致している。だから、この数字には不信感がいだかれている。いくら中国でも、予測値ぴったりというのは能のない話しだから、たまたまこうなったのかもしれない。しかし、こうした中国政府の数字はそもそも信じられてはいない。中国の学者が2%程度だろうと発言して、弾圧されたという話がある。マイナスが実態だという人もある。  GDP以外の数字はどうだろう。中国の現在の消費者物価指数の変動は1.0程度、生産者物価指数の方は1.0へ上昇である。生産者物価指数はマイナスからプラスに転じたのだが、その主な原因はアメリカとイランの戦争による物価上昇ではないかという意見がある。とすると、この上昇は、悪いインフレの典型である。  いすれにしても、中国で物価が停滞していることは間違いない。これは、中国経済の現状が、数年来の停滞を脱していないことを物語っている。  この背景に、中国の経済的な体力の衰えの問題が存在する。中国の労働力人口(15歳から64歳)は、2013年にピークを迎え、10.1憶人であった。それが、2024年には9.7憶人まで減少した。2050年には、6億6600万人と予想されている。予想とはいっても、人口の問題なので、大きな狂いは生じようがない。中国経済を発展させた一因である人口ボーナスは消滅しているのである。  中国の経済は、輸出偏重であって、国内...

河鍋暁斎展を見てきた

  河鍋暁斎の展覧会が開催されているということで、六本木のサントリー美術館へでかけた。この展覧会は、海外のコレクターの収蔵品を陳列したものである。ちなみに、河鍋暁斎は、幕末から明治の前半まで活躍した日本画家である。  河鍋暁斎の作品には、けっこうあちこちで出くわす。そうした完勝をとおして、わたしの中には、曉斎という人のイメージが二つに分裂していた。その一つは、漫画的な雰囲気のある風刺画である。明治のさまざまな事件、風俗を対象としており、歴史の本でもよく引用されている。もう一つは、仏教画で、あちこちの寺院に曉斎の作品が収蔵されている。こちらは真摯な宗教画である。  わたしの中では、なんとなく二人の曉斎がいるような気分だった。それが今回の展覧会を見て、解決した。曉斎は、この二つの領域だけではなく、じつに多様な種類の作品を残しているのである。彼は、筆が速く、依頼があれば、気軽に多くの作品を残したと見える。したがって、先の二つは、曉斎における重要なジャンルではあるものの、その二つを飲み込んで、多様な作品を残している。その数も膨大である。海外のコレクターがかなりの数の作品を持ち出しても、国内にまだたくさんの作品が残っているのである。  曉斎は、絵のうまい画家だが、重厚な作品を残すタイプではない。どこか、マイナーポエットの雰囲気がある。それだけに、気楽に楽しめる画家である。また、絵を描くことの楽しさがよく表現されている。  ところで、わたしは、この人の名前を長い間、ギョウサイと発音してきた。ところが展覧会の看板を見ると、Kyosaiと書かれている。キョーサイと発音するらしい。展覧会の説明を読んでいたら、この人が若いときは狂斎という号を名乗っていたことをしった。その後、その表記を曉斎に変えたのである。したがって、発音はキョーサイなのである。  これには、驚いた。 2026/05/03

山火事と地球温暖化

  岩手県の大槌町で、大規模な森林火災が続いている。この地域は、東日本大震災で被災した地域である。そのため、海岸から、山側に移住した人が多い。そういう人々の家が、火災の危機に瀕しているのである。避難している人々が、避難になれているのも悲しい。  こういう災害の場合、実際に被害にあっている人から、SNSに書込がなされることは極めてまれである。被災者にはそんなヒマはないのである。これは、多くの災害でも起きた現象である。Xを開いても、大槌町の現状を知ることはできないのである。  この地域は地震と山火事であるが、最近、同一の地域が複数の災害に襲われるケースが目立つ。能登が地震と大雨、熊本が地震と大雨である。こうしたケースは今後も発生する可能性がある。地震は、地球温暖化には関係なかろうと思うが、大雨と山火事は地球温暖化の産物であろうと思われる。地球温暖化を否定する非科学的な人々がいるが、昨今の世界中のあちこち起きている現象を見れば、もはや否定の余地などないのではないか。  二重、三重の災害に襲われた方々の苦労はいかばかりのものかと思う。わたしは、それなりに長生きしたが、その間に一度も戦争と大災害に襲われた経験がない。このような人生は人類の歴史の中でもまれなものである。災害と戦闘を経験するのが、むしろ通例のことなのである。  報道される大槌町の状況を目にすると、心が痛む。ただし、視野を広げると、それどころではない状況に置かれている人々も存在する。パレスチナの住民は、激しい長年、激しい攻撃にさらされ、非人道的な状況で生きざるをえない。平和を維持することが、いかに重要なことなのか、思い知らされる。  それにしても、自分はひどく幸運な人間だということになる。この幸運が何に起因するのか、わかるはずもない。せめて、日々を謙虚に暮らすことしたい。 2026/04/26

見慣れぬ漢字

   中国語の教科書を読んでいたら、次のような例文にでくわした。  那个店拉面馋得每天不少人排长队.  この文の意味は、「あの店のラーメンは、毎日長い列ができるほどのおいしさです。」というものである。(『口を鍛える中国語作文・中級編』)麺、長と隊が簡体字になっている。そして、見慣れない文字が、「馋」という字である。この字、漢和辞典にでていない。画数が多いが簡体字なのである。この文字、繁体字であっても、小型の漢和辞典には出てこない。この字の繁体字は、「饞」とい字である。この旁は、讒言の「讒」という字と同じである。意味は、「食べたがる」とい意味らしい。形容詞である。この字が簡体字になったのは、この言葉が使用頻度が高いからだろう。収録語彙一万語レベルの入門用の中国語辞書にも収録されているのである。なるほど、教科書の例文に出てくるのも当然である。  この簡体字の旁の文字は、先週紹介した『識字快車』によると、食偏の他に、言偏と手偏の文字が出ている。言偏は讒言の「讒」である。手偏は割り込むという意味らしい。繁体字のままの字は、『識字快車』には収録されていない。『新華字典』にはわずかに金偏の文字だけが収録されている。この旁の文字には、他に山偏、口偏、糸偏などの文字があるらしい。しかし、これらの字は、小さい字書にはでていない。  それにしても、三つの字に簡体字を作る必要があったのだろうか。しかも、字体が奇妙である。まあ使うのは、「饞」と「讒」とい字だけだろう。この旁を伝統的な字にしておいてもさしたる負担はなかったのではないか。わざわざ、字体を変える方が、余計な負担だったのではないか。簡体字も、日本語の新字体も、変更したことによって余計に面倒になってしまったのではないだろうか。(もちろん、簡体字も新字体も便利なこともあるのだが。) 2026/04/19

薄っぺらい漢字たち

  中国語を習い始めた時、面食らったことの一つのことに、皿を意味する言葉が一つではないということがある。皿という字は、発音min3で、意味は一応皿なのだが、口語では単独では用いられない。現代の中国語で皿を意味する単語は、盤子pan2zi3、碟子die2zi3の二つである。このうち、前者は大きい皿、後者は小さい皿を意味するという。この二つの単語のうち、どちらが上位概念なのか、をれを知るために、手元の中国語の辞書「規範漢語詞典」を引いて見る。すると、前者が「食べ物を入れる底の浅い、円形ないし楕円形の器」となっているのに対し、後者は「食べ物を入れる小さい盤子」となっている。これを見ると、盤子の方が上位の語であると思う。ただし、盤子が皿一般を指すと簡単に言えないのは、やはりこの二つへ別の意味だという意識が強いからだと思われる。その原因は、中国人の食事における、大皿と小皿がかなり別の物という意識があるのだろうと思う。盤子が料理を入れて出すものなのに、碟子は料理を自分のために取り分けるものだからである。皿を指す言葉の違いの背景には、それを使用する現実の違いが存在している。  ところで、この盤子の盤という字であるが、現代中国語の簡体字では、上右側のル又の部分が省かれ、舟だけになっている。これは、漢字の成り立ちを無視した字形である。舟の発音はzhou1である。漢字の旁が、まったく機能していない。わたしには、簡体字のよくない例であると思われる。  普通、漢字の辞典は、偏(へん)別に文字を分類している。しかし、漢字を旁(つくり)でまとめた変わり者の辞書がある。わたしがもっているものは、『識字快車』(商務印書館国際有限公司)というものである。  これで、舟の部分をみると、「舟」と「盤」(のル又を省いた字)だけが載っている。これを見ても、旁が舟というのは、どうにも無理矢理であることが理解される。また、「般」を含む他の漢字は、「舟」に変更していないので、なぜ盤だけが変更されたのか、疑問である。  ところで、皿のもう一つの言葉「碟子」の「碟」の方にも問題がある。この字、「蝶」などの同族である。喋牒諜などがある。魚偏もある。これらはdieと発音する。この旁を含む字は、基本的には「薄い、ぺらぺら」という意味、イメージを原義としている。さて、この旁を使っている字で一番なじみのある字は、「葉」...

独裁の不合理

  人間の身体は、独立したパーツの寄せ集めではなく、全部がまとまりをもった一つの存在である。各パーツの交換がまったくできないわけではないが、見方によっては、全体が密接に関係している。つまり有機体である。  社会や国家は、厳密には有機体ではないが、全体が一つの実体的な存在であるので、有機体と見なされることがよくある。いわゆる、社会有機体説である。比喩の常として、これをあまり絶対視すると破綻が生じるが、多くの場面では有効である。  身体によくないこと、バランスを失したことを行っていると、やがては病気になる。炭水化物を取り過ぎれば、糖尿病。塩分を取り過ぎれば、腎臓病。喫煙をすれば肺や心臓の病気。などなど、枚挙にいとまがない。こうした病気は、一定のレベルになると、回復不可能な状態になるものも多い。回復可能な物でも、地道で長い努力が必要である。  同じようなことが社会、国家、政府にも該当する。  安倍晋三政権は、異次元の金融緩和なるものを実行したが、それは、極端な金あまりを生み、物価高騰とインフレに結びついた。これは、元気がないから、糖分を供給するようなもので、一定以上継続すると、糖尿病になるのと同じ理屈である。悪化すると、それを治療するのは大変で、かなりの努力を要求することになる。現在の高市政権は、その弊害があきらかなのにその政策をまだ採用している。  強い権力は、さまざま忖度をうみ、政策を変更することを困難にする。権力が属人化すると、政策変更は権力への反抗という色彩を帯びるため、それが一層困難になる。多くの独裁的な権力が、政策の是正に失敗するのは、権力者が愚かなのではなく、独裁という権力の構造から、当然なことでして生じる事態である。毛沢東が大躍進を打ち出して、大飢饉を引き起こしたことも、こうした事例の典型である。日本でも、第二次世界大戦をいつまでも引きずってしまったことがある。  アメリカのトランプ大統領が、相互関税の実施、イラン攻撃など、いくつもの不合理な政策で、アメリカ、世界に混乱を引き起こしている。トランプ大統領は、王様気取りで、基本的に独裁者志向である。したがって、その政策が不合理なのは偶然の結果ではなく、不合理な政策が実施されるのは必然なのである。しかも、それは是正されにくい。そして、結果的にアメリカの国家全体を正常ならざる事態に引きずり込む。そして、ア...