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風土としての私鉄電車

  昨日、買い物に出かけたら、桜が満開だった。わたしの家の近所には、桜の並木があちこちにあり、花見をするのに苦労はない。  以前は、春に桜の花見をすることは、なんとなく世界中どこででも行われていることだと思っていた。しかし、台湾で春を過ごしたとき、そうではないことを知った。台湾の桜は小ぶりで、花も地味である。台湾でも花見をまったくしないわけではないが、日本とは規模が違う。台湾の人も、桜の本場は日本だとおもっているようなのである。  外国では、日本のように桜が咲く地域は意外に少ない。この条件が日本人の桜好きを成長させ、それが桜をさらに増やす結果になり、それがさらに桜好きに輪をかけることになったのだろう。  自然が文化を決定すると決めつけることはできないが、影響を与えていることは確かである。日本では、雨の登場する流行り唄がたくさんあるが、これもまた、日本の多雨が影響していると思われる。日本語には雨の表現が豊富であることも、知られた事実である。台湾も北部は多雨の地域である。基隆などは、あけてもくれても雨が降っていると言われている。雨の唄もとうぜんたくさんある。  西島三重子という歌手に「池上線」という唄がある。地味だが良い曲である。東京近郊の私鉄電車で通勤、通学した人なら、とくに身近に感じる内容である。この唄の男女の恋物語の背景として、独特の味わいを与えている。この私鉄電車という存在、池上線に限らず、井の頭線、東横線、田園都市線、目蒲線といった路線の持つ雰囲気を思い出してほしい。「池上線」に限らず、竹内まりあの「駅」なども、この雰囲気に支えられた唄ではないだろうか。(勝手な思い込みかもしれないが。)この東京近郊の私鉄というのは、これが意外なことに、世界中でこにでもある、というものではない。自動車でもなく、路面電車でもなく、ケーブルカーでもない電車文化は、かなり珍しいものなのである。これに対し、伊勢正三の「なごり雪」、中島みゆきの「ホームにて」に出てくる鉄道と状況は、かなり一般的なものであるように思われる。  社会的な特徴も、風土の一部として、その地域の感性に影響を与えていることがわかる。自然だけが風土ではないのである。 2026/03/29。

『千字文を読み解く』を読む(続き)

  『千字文を読み解く』を読んでいたら、鳳凰の説明が出ていた。鳳と凰には、違いがあり、前者が雄、後者が雌なのだと書いてある。漢和辞典を開くと、なんとこの説明が出てくる。知らないことばかりである。  ところで、この本、千字文の四字句の解説だけではなく、それぞれの漢字についての説明がついている。読んでいて気づいたのだが、漢字の成り立ちについて、著者の野村茂夫は、主として白川静の学説を利用している。白川の学説は、多くの支持者を得てはいるが、標準的な説明とはやや異なる。宗教やその儀礼との関わりを重視したものである。乱暴にいえば、漢字学の伝統よりは、自由な発想を駆使する傾向がある。それに対して、漢字学の伝統を踏まえて自説を作り上げたのが、藤堂明保である。彼の学説は学研の漢字源系統の漢和辞典の記述にいかされている。三省堂の漢字海や角川の新辞源などは、昔中国でできた説文解字の説明を基礎にして説明している。ということは、現在、漢字の成立については、主として三種類の説明が存在していることになる。もっともこの状況はだいぶ以前から変わっていないようだ。白川と藤堂の両先生の業績はそれだけ優れたものなのだろう。  あまり意識しないことだが、主要な研究者の存在が、学問の状況を左右する度合いは意外なほど大きい。それは、この二人の碩学に限ったことではない。 2026/03/22

『千字文を読み解く』を読む

  千字文は、主として、書道の手本として活用されてきた。そのためか、内容を理解することはあまり重視されてはこなかった。書道に携わる人は、漢語を書くことが多いが、そうじてその文学的、思想的内容には、あまり関心がないようである。千字文の内容についての関心の薄さは、日本だけではない。中国や台湾では、子供向きの古典が数多く出版されている。弟子規とか百家姓など、漢字の勉強用に使われる。千字文もその一つである。これらの本は、発音や簡単な解説はついているものの、内容を理解するKとには、情報が不足している。  日本であれ、中国語圏であれ、千字文の内容は、ほとんど無視されているのである。その結果、習字手本として千字文の出版物は多いが、文章としての千字文の解説書はほとんど出版されていない。  千字文の解説書として、一番手頃な物は、岩波文庫の『千字文』であろう。現行版は、小川環、木田章義が担当している。この本でさえ、あまり鮮明ではないが、智永の千字文の写真版が付されている。こうしないと、読者が納得しないと考えたのだろうか。  この本、千字文の普通の解説書ではない。6世紀の李躚暹(りせん)という学者の注の口語訳が中心をなしている。6世紀の学者の著書であるから、その記述は現代の日本人の知識とはかなり想定が異なる。その部分は、二人の著者が補充をしているのだが、注が二種類に分かれている。この本は、要するに、わたしのような読者には、かなり不親切な物になっている。学問的には、かなり高い水準を維持しているが、読み物としては不便なのである。かなりの大部であり、しかも文字も小さい。  苦労していたわたしは、amazonで調べてみた。すると、『千字文を読み解く』、野村茂夫。大修館、2005年、という本が出てきた。これを買うしかない。  で、読み始めたのである。これがわたしのレベルにはぴったりの本であった。この本を読むと、千字文には中国の歴史、思想、文学のさまざまの知識を踏まえて作成されていることがわかる。千字文の解説を通して、中国の古典に関する膨大な知識を学ぶことができるのである。この本は中国文化の小辞典といった性格を帯びている。そして、かなり読みやすい。  千字文の文章は、四字一句で、偶数句で韻を踏んでいる。千字文は、梁の周興嗣(5世紀から6世紀)という人物が、一夜で作ったものといわれる。作者はそ...

保存好きの気質

  『十八史略』は、日本では、中国史の入門書として、長く読まれてきた本である。これもかなりよく知られたことだが、この本は中国では失われて、日本にのみ読まれてきた。その理由はあまり芳しいものではない。この本は、中国正史のダイジェスト本、つまり歴史学習の参考書なのである。ところが、この本の出来は、傑出したものではなく、どちらかといえば凡庸なものなのらしい。つまり、中国ではそれほど重視されず、時代の経過とともに埋もれてしまったということらしい。しかし、日本人には適当な学習書として重宝された。  書道では。智永の真草千字文はきわめて有名なものである。これも、日本にのみ伝承され、中国では失われてしまった。もちろん、千字文そのものは中国で広く流布しているが、智永直筆のものが失われているのである。千字文は、千の文字を一度づつ使って、内容のある韻文に仕上げたものである。その千字は、王羲之の超した書から選ばれている。智栄は、王羲之の子孫で、王羲之の文字を真似て。生涯多くの千字文を書き残した。中国でも高く評価され、漢字、書道の学習用に尊重されたらしい。智永の千字文は多くの人の所望するものであった。  ところが、この智永の千字文、中国では失われて、日本にのみ残ったのである。現在、小川本と呼ばれているものがそれである。今出版されている千字文の複製は、ほとんどがこれを原本としている。  なぜ、中国では、たくさんあったはずの智永の原本は失われてしまったのだろう。おそらくは、それが文字を学ぶ教材として重視されたためではないか。つまり、日々、教科書として使われたために、消滅してしまったのだと推測されている。  日本では、智永千字文は、中国渡来の貴重な品として取り扱われ、伝承されたのだろう。しかし、それだけが理由だろうか。日本だったら、教材として実用的に使われたとしても、失われるといったことはなかったのではないが。日本は、とにかく、いろいろなものを保存したがる。それは事物だけではなく、芸能や学問にもいえることである。  近年、博物館や図書館が所蔵している資料を処分することを可能にする法律が成立しそうになっているが、反対の声もあるようだ。いったん保存した物は、捨ててるべきではない、という意見が、根強いのであろう。 2026/03/08

「マンガ家・つげ義春のいるところ展」

 表題の展覧会を見に行った。  調布には、三人のマンガ家が住んでいた。水木しける、つげ義春、畑中純である。このうち、二人はもう故人になってしまった。そのお二人とは、直接お会いしたことがある。水木さんとは、ちょっとした会合で隣り合わせになり、一言二言、ご挨拶を交わした。畑中純さんは、その娘さんと我が家の娘が同級生で、母親どうしは多少のお付き合いもあった。わたしも畑中さんを何度かお見かけした。ところが、つげ義春さんとは、お会いしたことはない。一時、わたしはつげさんのご近所に住んでいた。そのことを知ってもいたのだが、なぜか誤嚥がなかったのである。だが、わたしの好みに一番合っていたのはつげ義春であっった。(調布市には吉田戦車も住んでいるが、三人とはやや系統が違うので、ひとまとまりにされることはあまりないようだ。)  今回の展覧会、つげ義春の生涯を時代順に追って解説しており、その画業の全貌を知ることができる。構成を担当しているのが、美術史家なので、なんとなく学問的な雰囲気がある。つげの名作の原画をたくさん見ることができる。つげが、もう数十年も作品を発表していないことも、今回、あらためて気づかされた。しかも、最後に発表された作品「別離」は読んでいないのである。  この充実した展覧会、驚いたことに入場無料であった。そのためということもあるまいが、平日の午前中にもかかわらずかなりの見学者が来ていた。小規模だが、グッズコーナーもあり、妻は藤原マキの絵日記と赤い花の主人公の少女をあしらったTシャツを買っていた。 2026/03/01

唐様の文字

 川柳に、「売り家と唐様(からよう)で書く三代目」という句がある。わたしは、以前この句のことを以下のように理解していた。商人の家も 三代続くと、主人が商売よりも、趣味に走る傾向がある。その結果、本業がおろそかになる。ついにへ、家を売るような羽目になってしまう。さて、この三代目が。 書いた文字が 唐様だというのである。わたしは、この唐様の文字をなんとなく、趣味に溺れがちの人にふさわしい気取った字体を思い浮かべていた。具体的にいえば、線の細い、なよっとした印象の文字を思い描いていた。  だが。最近になって、ここでいう唐様が、江戸時代後期に流行した書風であることを知った。女性的な和様に対して、中国風の文字を書くことが流行ったのである。江戸時代に中国から伝わった黄檗宗、徂徠学派の中国崇拝などの影響だといわれている。  この字体、当然、骨格のしっかりした力強い書風である。和様に対立するのだから当然である。となると、先の川柳、威風堂々たる立派な文字で書かれているのに、その内容が「売り家」の通知なのである。文字と内容のギャップに、気の毒さと、おかしみを感じることができる。なるほど、こう理解してこそ、この句の魅力もわかるというものである。  何事も、いい加減な知識で、わかった気になってはいけないのである。 2026/02/22

病人の戯言

 一月に、うちの犬が足の怪我をした。左後ろ足である。痛みはないようだが、力が入らないので、ほぼ三本足で歩いている。散歩も近場しか行けなくなった。そのためた、急速に体力を失い、お漏らしをするようになってしまった。人も犬も歩けなくなると、衰えるのである。まあ、老犬ではあるのだが。  飼い主の方も、今週、また、風邪をひいてしまった。最近は、鼻が詰まって眠れなくなるのが、悩みである。もともと、風邪に弱いのだが、この冬はすぐ微熱がでてしまう。  わたしは、風邪をひくとよく葛根湯を飲む。葛根湯が体質に合うようである。台湾にいたときも、薬局に葛根湯を買いに行った。漢方なら本場なのだから、葛根湯もしっかり売られていると思った。しかし、実際には葛根湯は店の隅に、肩身が狭そうに陳列されていた。薬局の人に葛根湯をくれというと、ちょっと奇妙な顔をされた。台湾では風邪薬といえば、パブロンが圧倒的な人気である。日本人なのに、葛根湯みたいな時代遅れのものを買うのか、と不思議に思われたのである。こうした現象は、パブロンに限ったことではなく、また、台湾に限ったことではない。東アジタ、東南アジアで、日本の薬品への評価は高い。「神薬」などといってあがめ奉っている向きさえある。  話題は変わるが、台湾語の歌とえば、以前は演歌だった。それが、最近はポップス、ロック、バラード、ラップなど多様に拡大してきた。台湾語の歌手といえば、一昔前は、ルックスはあまり重視しなかったのではないか。名曲「人生的歌」の黃乙玲は、感じのいいおばさんだが、美人とは言いがたい。これは、全般に言えることである。國語、つまり中国語の歌の歌手の方が美人が多かったように思う。(大陸では、この傾向は一段と強い。)ところが近年、この傾向から外れた歌手が増えてきた。翁鈺鈞。杜忻恬さらに蔡家蓁が代表的なところではないか。(実物はYouTubeで簡単に見られます。)単に美人というより、ややアイドル的な雰囲気が混じっている。ただし、その分、歌そのものは、今一歩のような気がする。彼女たちが、他の歌手のカバーをしているのを聞くと、その感が強い。  以前、台湾の人向けの台湾語の参考書を見ていたら、台湾語の学習法の一つとして、台湾語の歌を聴いたり歌ったりする、というのがあった。そこに、著者が付け加えていたのだが、江蕙(台湾の伝説的な名歌手)の歌を、自分が歌うと、...