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介護保険は高いが・・・

  先週、ブログを休んだのだが、その理由は、妻の叔母の葬儀に参列したからである。妻はわたしとほぼ同い年、つまり後期高齢者である。その叔母であるから、一世代上。年齢は、満で103歳であった。  故人は、夫を早く亡くし、山間部の小集落で、ずっと一人暮らしをしてきた人である。子供、孫はいるのだが、同居はしていない。しかし、最後まで一人暮らしを貫いたのである。最後に入院したのは、10日ほどである。それまでは、毎日、三回の訪問介護に助けられてはいたが、自宅で一人で生活していた。テレビも見るし、新聞も読んでいた。耳も目もあまり悪くない。家族、親戚の人々の動向は、一度聞いたらほとんどわすれなかった。むしろ、こちらの方が曖昧な部分があり、叔母の方が正確なくらいであった。最晩年までは、ほぼ自立して生活していた。ただ、訪問のヘルパーが時々やってきては、買い物などを手伝っていた。  毎月、介護保険料を徴収されると、その高さに、いささか驚く。だが、この叔母のように、介護制度をうまく活用して、死の直前まで、自立した生活を送れていた人を見ると、この制度は捨てたものではないと思う。  ただし、それもこれも、この叔母のようにしっかりした精神状態を保てた上のはなしである。我が家は夫婦とも、後期高齢者になったが、さいわい認知障害の気配はない。しかし、これも気をつけていればどうにかなる、というものではない。  先日、銀行にいって、定期預金を解約して、普通預金に移そうとしたのだが、一度目は印鑑を間違え、二度目は入金する口座のカードを忘れ、三度目でやっと目的を達することができた。時間はあるし、バス代はシルバーパスで無料である。それは、いい。だが、どこか、鈍くなっているのではないか、といささか不安になってくる。健康第一などというが、なかでも知力の衰えを防ぐことが、とくに重要なのだと思う。ただ、それは努力ではどうにもならないことのようなのだ。 2025/10/12。

今週、休載。

 今週末、急な用事が発生、ブログ、休載します。 では、よい終末を。

数学、学び直し

  仕事をしていた時には、データを読む作業が、多少は必要だった。そこで、統計の基礎を勉強した。その結果、標準偏差、偏差値、中央値、相関係数などは理解できるようになった。わたしの仕事では、それ以上は、勉強の大変さに比較して、それほど必要としないことがわかった。  だが、それでも統計を学んでいるうちに、自分の数学の学力が極端に落ちていることに気づかされた。わたしは、高校生の時には、数3の前半までは勉強したのである。入試でも数2Bまでは必要だった。だが、今となっては、よく思い出せないのである。国語、英語、社会は、高校以後もなんらかの形で触れ続けてきたのだが、数学(と理科)はほとんど縁のない生活をしてきた。なんどか、数学の学びなおしを試みたのだが、うまくいかなかった。  最近、説明のやさしさを売り物にした高校数学の参考書を買って、取り組んでみた。二次方程式の解法は、数1の中心であることがわかった。これは高校1年生の前半で学ぶことである。この参考書は、あまり難しい問題は取り扱わず、基礎的な事項の説明に注力している。それは、それでよいのだが、·説明の仕方がひどくまどろっこしいのである。この『とってもやさしい』というシリーズの参考書は、数学の説明としてやさしいというよりは、説明の理解があまりスマートではない学生を念頭においているようである。数学として「やさしい」というより、説明の仕方がやさしい、具体的には、基礎的な事項の復習、確認の作業を重視しているのである。そこが、やや、まどろっこしいのである。とはいえ、こちらもその程度の理解力になっていると思って、付き合っていくしかない。  若い頃に苦手だった順列、組み合わせは今でも苦手だった。得意の領域は減少し、苦手な領域は拡大しているのである。このペースで進んでって、微積まで到達できるものだろうか。 2025/09/21

ドラマ『零日攻撃』の主題歌

  台湾の歌手といえば、長い間、江恵が頂点に立っていた。都はるみと八代亜紀と石川さゆりを足したような地位の歌手である。その彼女が数年前、引退を発表した。原因はいろろ取り沙汰されているが、体調の低下も一因らしい。ただし、その後も、たまには人前で歌っている。だが、従来のような活動は止めてしまった。基本的な引退なのだろう。  女王が空位になった。そこで、後継者は誰なのかが、一時話題になった。わたしの印象では、その地位についたのは、曹雅雯(Olivia Tsao)という歌手である。ただし、わたしは、この人のファンなので、客観的な評価とはいえないが。歌手のタイプからいうと、この人は、江恵とはかなり対称的である。江恵は、典型的な芸能人という華やかな雰囲気の人であるが、この人はちょっと違う。  この人、すごい美人というわけではないが、そこそこの美人だと思う。世が高く、頭が小さく、姿勢がいいので、立ち姿がきれいである。どことなく、知的で、落ち着いた雰囲気である。中学校の音楽の先生で、女子生徒の憧れの存在、といった人である。  この人は台湾語の歌手である。この人のオリジナルのヒット曲もたくさんある。この人が他の人のヒット曲をカバーした作品、例えば、「雨水我問儞」(雨よ、教えて)、「人生的歌」(人生の歌)などは、YouTubeで楽しむことができる。これが大変によい。  先日、この人の歌を、台湾の音楽に強い音楽配信、KKBOSXで探していたら、今年の作品として「風聲人影」という曲が揚げられている。連続ドラマ『零日攻撃』の主題歌と説明がついている。『零日攻撃』という作品は、聞いたこうとがある。たしか、これは中国が台湾へ侵攻を始める直前の台湾を描いたドラマだったと気づいた。新聞やネットで話題になっているのを見た。この人が主題歌を歌っているのか、  『零日攻撃』は日本でも、途中まで見ることができる。amazonプライム・ビデオで配信されている。早速、公開されている分、四話まで見た。(その後、五話も公開された。)これは、一つのドラマといっても、毎回、登場人物や立場が変わり、中国の侵攻を目前にして、台湾の社会のそれぞれの部分でどのような事件がおきるか、を描いている。見てわかったが、とにかく暗い。カタルシスもない。たいがいの終わりは悲劇的である。その背景には、中国侵攻が、台湾にとってきわめて...

あたらしい恐怖症

  暗くて、不気味な話題です。  わたしが、高所恐怖症、集合体恐怖症などを持っていることについては、すでに何度か書いてきた。ところが、最近になって、今までになかった症状に気づいたのである。  ネットニュースを見ていると、ニュースの合間に広告が出てくる。その一つに、肩の痛を治す薬の広告がある。富山常備薬と会社である。この広告、男性の裸の肩が描かれているのだが、その肩の関節付近が強いオレンジ色でに塗られている。おそらく痛みの患部を表しているのだろう。そのオレンジの部分から、痛みを可視化したものと思われる点線が放射線状に何本も描かれている。このイラストが、どうにも不気味なのである。理由はまったくわからない。  別の広告で、ロボットないしは人体模型のような頭部が描かれており、その側頭部と頬の部分が外皮の部分が剥がされており、内部に電子回路のようなものが見えている。これも、なぜかひどく不気味である。  さらに、別の広告で、木材でできた構造物が端からはがれて、小さい断片となってばらけていく動画がある。これも、不気味である。  いずれも、不気味さは、一般の人には、ほとんど理解されないと思う。だが、わたしは、これらの画像を見ると、心がぞわぞわして、不安な気分になる。かなり気持ちが悪い。もちろん、こうした例は、これだけにとどまらない。  理由はよく、わからない。特に体調が悪いわけではない。食欲もあるし、食ものもおいしい。気になって眠れないということもない。だが、ニュースサイトを閲覧していると、また、あの広告があるだろうな、と思うと、少し暗い気分になる。新しい画像にでくわして、また不安になるのではないかと懸念される。そのこと自体が、不安感のもう一つの形である。  この症状は、以前はなかった。この一、二ヶ月、急に気づいたものである。こんな症状がつぎつぎに増えていくとしたら、それはたまったものではない。 2025/09/07

『幽霊の脳科学』を読んだ。

  『幽霊の脳科学』は、古谷(ふるや)博和という人の著書である。(ハヤカワ新書、2025年8月)。古谷博和さんは、1956年生まれの脳神経内科医で。高知大学医学部教授である。  この本は、脳神経内科の知見を背景にして、幽霊という現象を、怪異としてではなく、神経の引き起こす現象として理解しようとするものである。ナルコレプシー、パーキンソン病、一過性の健忘症など、さまざまな幻想を伴う症状を取り上げ、それがどのような幽霊の認識に関連している(と思われる)かを説明としている。この試みが、意外なほど、うまくいっている。おそらく、それは脳神経に関する医学の進歩も寄与しているのではあろうが、それ以上に著者の発想が柔軟で、また広い視野をもっていることによるものと思われる。この手の解説にありがちな、強引さや論理の飛躍はあまり、感じられない。うまく筆者の説明に誘導されてしまう。そこが楽しい。  筆者は、脳神経の医学を振り回すだけではない。幽霊が夏に出ることが多いことを説明した部分では、江戸時代の夏の生活の実態に思いをいたし、そこに睡眠の異常の生じやすい理由を求めている。このへんは、筆者の思考の柔軟さの賜物である。  もっとも、筆者は、幽霊などの現象のすべてが、脳神経の作用で説明できるといっているわけではない。脳神経に関する知見が、こうした現象を考えるために、新しい視点となりうることを主張しているのである。筆者は、幽霊がいないことを説明しようというわけではない。このへんの姿勢も、科学者としての節度をわきまえていて、安心できる。  ところで、この本のタイトルに「脳科学」とう言葉が使われている。しかし、この本の中には「脳科学」という言葉はほとんど(あるいは、まったく)使われず、脳神経内科という名称が使われている。これにも、この筆者の記述がきちんとしたものであることが示されているといえよう。脳科学という学問名称は、ややうさんくさく、脳科学者となれば、さらにうさんくさい。マスコミは、話しを面白くするために、こういう名称を使いたがるのだろうが、学問的にはあまり適切ではないように思われる。テレビで脳科学者という人が出てくるたびに、本当はなんの専門家だろうかと、気になってしまうのである。 2025/08/31

『三国志を歩く、中国を知る』を読んだ。

  正確には、「読んだ」ではなく、「読んでいる」段階である。この本、著者は坂本信博という人、出版したのは西日本新聞社である。(発行、2024年11月)西日本新聞は福岡の地方紙で、筆者はその記者である。わたしの持っているのは今年6月の第二刷となっているから、めでたく初刷りを完売して、増刷がかかったということになる。慶賀の至りである。  初刷り完売からもわかるとおり、この本、なかなか中身の充実した面白い本である。  三国志の登場人物、劉備、曹操、関羽にはじまり、さまざまな人物が取り上げられる。名場面の舞台も数多く登場する。各地で、登場人物がどのように扱われているかも、施設の紹介だけでなく、地域の人々の感情もよう調べられている。  こうした記述は、単なる三国志にかかわる知識を増やすだけのものではない。その紹介が、現代の中国の社会の状況、問題の解説にもなっている。このへんの匙加減が大変に上手である。それは、筆者の器用さの産物ではなく、一つには、三国志を長年、愛読してきた蓄積の賜物である。もう一つは、記者としてのしっかりした取材力の聖歌でもある。  最近のマスコミの中国報道には、中国の中央、地方の政府が発表した文章や、あちこちの新聞の記事を読んで、それを貼り合わせた、いわゆるコタツ記事が多い。そんな文章ばかり読まされているから、この本の文章が、大変に栄養価の高いものに感じられる。  じつのところ、わたしは三国志が得意ではない。なんども挫折している。そんなわたしでも、この本は興味深く読めるのである。  そうそう、この本、364ページもあるのだが、なんと1700円なのである。驚くべき低価格である。はじめ、図書館で借りて読み出したのだが、内容と値段にひかれて、自分で購入してしまった。それくらい、良い本なのである。 2025年8月10日