麗しい夫婦愛の本

  わたしは、碁を打つが、ひどく弱い。父は、アマチュアとしてはかなり強い打ち手だった。親戚も総じて強かった。家でもしょちゅう碁を打っていた。それを見ていたので、子供のうちに、碁の打ち方は理解した。しかし、碁が時間をひどく奪うものであることも、身にしみて感じていた。父は仕事が忙しいので、つい碁を打ってしまい、時には、碁石を庭に捨てたこともなんどかある。そんな出来事を見ていたので、いつか碁から意識的に遠ざかった。老人になって、また碁を打つようになり、ネット碁で遊ぶようになった。しかし、強くなろうという気持ちにはなれない。このレベルでは、難しい碁の本は読んでもわからない。だから、張栩という人の書いた『張栩の詰碁』という本はまるで歯が立たない。しかし、この本自体はなかなか魅力的なのである。


 張栩は一時期、日本の囲碁界でトップの棋士だった。世界戦で勝ったこともある。今でも、トップクラスの棋士ではある。その妻は、小林泉美という女流棋士である。小林泉美は、父が小林光一。この人も、一時期日本のトップ棋士であった。この人の師匠が木谷實、この人もトップクラスの棋士であった。この人は競技者としても優れていたが、若い棋士の育成に努力した人で、自宅を道場にして、多くの棋士をそだてた。この人の婦人は木谷禮子という。名前からわかるとおり、木谷實の娘さんである。この人、女流棋士のナンバーワンであった。小林は師匠の娘さんと結婚したわけだが、婦人の方が十三歳年上であった。木谷禮子さんは、すごい美人というわけだはないが、たたずまいの美しい上品な女性で、人気も高かった。だが、長年、独身だった。結婚したとき、まだ小林は一流の棋士とはいえない立場だった。しかし、木谷家の人々であれば、小林の将来にはそれほど心配していなかったに違いない。じっさい、小林はトップの棋士になった。

 小林泉美はその娘である。女流トップの棋士になった。小林は、見た目もかわいかったので、人気も高かった。ゴルファーもそうだが、女流棋士も、指導者としての需要がきわめて高い。結婚したとき、張栩はすでに本因坊になっていて、文句のないトップ棋士だった。ただし、名前からわかるとおり、台湾台北市の出身である。しかし、少年の時から、日本で暮らしていたから、それほどの、問題もなかったろう。

 この張栩という棋士、とにかく碁が好きで、趣味が詰碁なのである。詰碁の問題をたくさん作っている。その詰碁を選んで、解説を書いたのが、『張栩の詰碁』(毎日コミュニケーションズ、2006)である。

 わたしには到底、歯が立たない本である。しかし、この本、張栩の原案を、囲碁ライターがまとめたものであるが、かなりページを夫人の小林泉美が書いている。思い出話などのエッセー的な部分、囲碁の解説的な部分などが混じっている。だが、これだけ夫婦で協力して書いた本、とくに碁の本は珍しいのではないか。たぶん、この本だけだと思う。(小林の祖父、木谷夫人にも、回顧録があるが、こちらは単著で、未読。)

 碁の本であるのだが、全体から夫婦の愛情があふれている、麗しい本である。


2025/10/19


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