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古書店の出てくる夢を見た

  昨夜見た、短い夢の話しである。なんの趣向もないし、風刺もない。ただの報告である。  わたしは仕事柄、書店にはよく出かけた。古書店もかなり覗いた。以前は、ネットで本を買うことがなかったから、その回数も多かった。神保町の古書店街にもよく出かけた。しかし、最近では、神保町に行くこともほとんどなくなった。近所の古書店もあまり覗くことはなくなった。  ところが、夢の中には、古書店がときどき登場する。比較的よく登場する古書店は, デパートのようなビルの中の店である。実際にそんな店に行ったことはない。そのデパートの建物は立派である。思い返してみれば、しばらく前に閉店した、台北大安の誠品書店のビルに似ているところがあるようだ。夢の中では、その店の書棚の配置もなんとなく理解しているようだ。自分の関心のある領域の書棚の位置も承知している。昨夜は、その書店から出て、近くにある、小さな古書店に入っていった。その店で、古くて薄い雑誌、昭和の中期くらいのものを手にとった。興味のある内容が収録されているような気がした。しかし、雑誌を開いてそれを探そうとすると、店内が満員電車のような混雑になり、雑誌のページが開けないのである。なんで、古書店がこんなに混んでいるのだろう、と思っていたら、また眠ってしまったようだ。これだけである。  この短い夢は、とくに感情的な色合いもなく、たんたんと事実が出現するだけであった。あの雑誌のに何が載っていたのかも覚えていないし、それを読めないことに特に苦痛を感じているわけでもない。古書店の混雑に感情が動くということもなかった。  夢に繰り返し出現する、ビルの中の立派な古書店も、その指し示す意味はまるでわからない。ただ、そういう夢を見たという事実だけが残っている。そのことが不思議である。 2025/10/26

麗しい夫婦愛の本

  わたしは、碁を打つが、ひどく弱い。父は、アマチュアとしてはかなり強い打ち手だった。親戚も総じて強かった。家でもしょちゅう碁を打っていた。それを見ていたので、子供のうちに、碁の打ち方は理解した。しかし、碁が時間をひどく奪うものであることも、身にしみて感じていた。父は仕事が忙しいので、つい碁を打ってしまい、時には、碁石を庭に捨てたこともなんどかある。そんな出来事を見ていたので、いつか碁から意識的に遠ざかった。老人になって、また碁を打つようになり、ネット碁で遊ぶようになった。しかし、強くなろうという気持ちにはなれない。このレベルでは、難しい碁の本は読んでもわからない。だから、張栩という人の書いた『張栩の詰碁』という本はまるで歯が立たない。しかし、この本自体はなかなか魅力的なのである。  張栩は一時期、日本の囲碁界でトップの棋士だった。世界戦で勝ったこともある。今でも、トップクラスの棋士ではある。その妻は、小林泉美という女流棋士である。小林泉美は、父が小林光一。この人も、一時期日本のトップ棋士であった。この人の師匠が木谷實、この人もトップクラスの棋士であった。この人は競技者としても優れていたが、若い棋士の育成に努力した人で、自宅を道場にして、多くの棋士をそだてた。この人の婦人は木谷禮子という。名前からわかるとおり、木谷實の娘さんである。この人、女流棋士のナンバーワンであった。小林は師匠の娘さんと結婚したわけだが、婦人の方が十三歳年上であった。木谷禮子さんは、すごい美人というわけだはないが、たたずまいの美しい上品な女性で、人気も高かった。だが、長年、独身だった。結婚したとき、まだ小林は一流の棋士とはいえない立場だった。しかし、木谷家の人々であれば、小林の将来にはそれほど心配していなかったに違いない。じっさい、小林はトップの棋士になった。  小林泉美はその娘である。女流トップの棋士になった。小林は、見た目もかわいかったので、人気も高かった。ゴルファーもそうだが、女流棋士も、指導者としての需要がきわめて高い。結婚したとき、張栩はすでに本因坊になっていて、文句のないトップ棋士だった。ただし、名前からわかるとおり、台湾台北市の出身である。しかし、少年の時から、日本で暮らしていたから、それほどの、問題もなかったろう。  この張栩という棋士、とにかく碁が好きで、趣味が詰碁なの...

介護保険は高いが・・・

  先週、ブログを休んだのだが、その理由は、妻の叔母の葬儀に参列したからである。妻はわたしとほぼ同い年、つまり後期高齢者である。その叔母であるから、一世代上。年齢は、満で103歳であった。  故人は、夫を早く亡くし、山間部の小集落で、ずっと一人暮らしをしてきた人である。子供、孫はいるのだが、同居はしていない。しかし、最後まで一人暮らしを貫いたのである。最後に入院したのは、10日ほどである。それまでは、毎日、三回の訪問介護に助けられてはいたが、自宅で一人で生活していた。テレビも見るし、新聞も読んでいた。耳も目もあまり悪くない。家族、親戚の人々の動向は、一度聞いたらほとんどわすれなかった。むしろ、こちらの方が曖昧な部分があり、叔母の方が正確なくらいであった。最晩年までは、ほぼ自立して生活していた。ただ、訪問のヘルパーが時々やってきては、買い物などを手伝っていた。  毎月、介護保険料を徴収されると、その高さに、いささか驚く。だが、この叔母のように、介護制度をうまく活用して、死の直前まで、自立した生活を送れていた人を見ると、この制度は捨てたものではないと思う。  ただし、それもこれも、この叔母のようにしっかりした精神状態を保てた上のはなしである。我が家は夫婦とも、後期高齢者になったが、さいわい認知障害の気配はない。しかし、これも気をつけていればどうにかなる、というものではない。  先日、銀行にいって、定期預金を解約して、普通預金に移そうとしたのだが、一度目は印鑑を間違え、二度目は入金する口座のカードを忘れ、三度目でやっと目的を達することができた。時間はあるし、バス代はシルバーパスで無料である。それは、いい。だが、どこか、鈍くなっているのではないか、といささか不安になってくる。健康第一などというが、なかでも知力の衰えを防ぐことが、とくに重要なのだと思う。ただ、それは努力ではどうにもならないことのようなのだ。 2025/10/12。