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インフルエンザに罹った。

 11月6日といえば、16日前の木曜日である。その日、親戚の家で食事に招かれた。麻雀をして、食事をとり、夜、帰ってきた。その日は、とくに体調が悪いということはなかった。ところが、翌、7日に起きると、咳が出て、熱っぽい。一日、寝ていた。しかし、土曜日の朝、起きると、さらに咳がひどく、熱が上がっている。38度ある。これではどうにもならない。医者に出かけた。わたしと似た症状の患者がかなりたくさんいるようだった。検査をすると、インフルエンザA型であった。現在流行中の病気である。薬をもらって、寝込んだ。一日で熱はさがり、咳もじょじょに治まった。これで治るかと思ったのである。  しかし、厄介なのはここからだった。とにかく、体がだるい。犬の散歩をすると、横にならずにはいられらない。横になると、すぐに寝てしまう。この状況がつつく。とにかく、寝てばかりル。かくて、二週間、眠ってばかりなのである。とにかくよく眠れるのである。本が読めないどころか、テレビをすわってみていることもできない。すぐに横になりたくなってしまう。息切れもひどい。  すわっていたのは、サッカーの試合を見た時くらいである。酒もほとんど飲まない。ほぼ、生きる屍である。この状態で、地震や水害に襲われたら、ほんとうに生き抜けない。大分の火災のニュースを見ると、ほんとうに辛いだろうなと思う。  こんなに具合が悪くなったのは、8年前に体調を崩して以来である。あのときは、命の危険さえ感じたが、今回はそこまでひどくはない。しかし、不調の期間はむしろ長い。これが老いということなのだろう。  今日(22日土曜日)、やっと、この文章を書いている。これで、精一杯なのである。まだ、眠いのである。  で、今日、日曜日である。ほんの少し、恢復の兆しが見えてきた。すがる思いである。 2025/11/23。

老子を読む

  老子を読んでいて、気づいたこと。  台湾の児童作家に岑澎惟という人がいる。十数年間、この人が書いた、聊斎志異のリライト本を読んだ。わりと楽しかったので、なんとなく好感を抱いていた。この人の本に、『大家讀老子』(みんなで読む老子)という本があることも知っていた。この人はオリジナルの児童小説も書いているのだが、古典を基にした児童用読み物も何冊か書いている。老子というのは、あまりよい子の読ませるような内容の本とは思えない。老子を子供向けに紹介するとしたらどういうものになるのか気になった。  『大家讀老子』を開いてみてわかった。この本は老子という本の内容を解説したものではないのである。老子伝説や、後代の人が書いた老子の話しを紹介したものである。老子はこの世の虚しさを強調する。そんな思想をよい子に教え込むわけにはいかない。そこのところをややぼかして、老子に関するエピソード集に切り替えているのである。この本を読んでも、老子の思想はそれほど詳しくはわからないが、老子の伝説、受容史についての知識は得られるのである。  講談社学芸文庫の金谷治の注釈本で老子を読み出したのだが、そこに以前読んだときの書込があることに気づいた。何カ所か、岩波文庫版を参照しろ、とある。amazonを見ると、岩波文庫版は数年前に購入したと、注記が出ている。ところが、この岩波文庫が書棚に見つからない。あちこち探していたが、とうとう面倒くさくなって、電子版を買ってしまった。これをkindleで読みだすと、文字が大きくて読みやすいのである。近年、紙版の字の小ささに悩まされている、どうも、これからは電子版を第一選択にするべきらしい。  それにしても、老子という本は、テキストがあまり確定的ではない。多くの版で、文字の異同が多い。しかも、内容が深淵、記述が曖昧なので、文意を確定しにくい。悪く言えば、解釈に従って、原文を定めるという、逆転現象が起きている可能性がある。もちろん、古典の解釈ではこういう要素は免れられないのだが、その度合いがやや著しい。解釈者の判断、志向によって、理解の幅が大きくなる。  以前、老子を読んだとき、支配者の視点から述べた文章があることが、いささか気になった。偉そうなことをいっても、所詮は、支配者の視点なのかと、落胆した。ところが、今回、読み直してみると、そういう点は、あまり気にならなく...