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4月, 2025の投稿を表示しています

あれ、中島みゆき、じゃね?

   台湾の唄に、「哭沙」という作品がある。ここの文章で は時々台湾語の唄について触れてきたが、この唄は台湾語ではなく、台湾華語(中国語)で書かれている。発音は、ku1sha1、日本人の耳みはクーシャーと聞こえる。台湾人的な発音では、クーサーになる。この唄、1992年に、台湾のレコード大賞にあたる金曲奨で、作曲賞を獲得している。受賞した作曲家は熊美玲という人である。この唄を歌ったのは、黄鶯鶯、台湾の伝説的な歌手である。現在も存命で、えている。いい歌なので多くの歌手がカバーしており、Youtubeにたくさんアップされている。  この曲、さすがに時間が経って、なつかしの名曲に近づきつつあったのだが、一昨年、突然、再生されたのである。作曲者の熊美玲が自分で新しく歌いなおした。今度は、歌詞を台湾語で書いたである。かなり印象の違う唄になっている。題名も「秋離」という変わっている。台湾語では、哭沙という単語は使いにくかったのかもしれない。熊美玲自身が、作り直した事情を語っているインタビューもアップロードされている。うまい歌唱というよりも、作曲家らしい、味わいのあるタイプの歌唱である。曲は、同じである。  この人の夫が作詞家で、名前が林秋離という。この唄が作られてた直後、癌で逝去している。そういう事情もあって、熊美玲がテレビ番組でこの唄を歌うと、出演者がしんみりとしてしまう。有名な歌手の詹雅雯が泣いている番組など二度もみてしまった。もっとも、そういう事情を知らなくても、泣いて不思議のないしみじみとしたいい唄である。  この熊美玲という人、名前も珍しいが、作曲家らしく個性的で知的な雰囲気の人である。ただし、本人は芸能人というより、どこにでもいるおばさん風の人である。  この人、アルバムも出していて、その題名は「一路平安」という。旅行に行く人などに向かって送る決まり言葉である。「おげんkそのアルバムに、同じ題名の唄が収められている。この唄もいい曲である。しかし、日本人がこの唄を聞いてみると、強い違和感を覚るだろう。中島みゆきの「ホームにて」に酷似したメロディーが使われているのである。中島みゆきは、台湾では中島美雪という表記でよく知られている。台湾のYahoo!で調べても、こういう指摘は見当たらないので、もしかしたら、わたしのこじんてきな思い込みなのかもしれないが・・・。 (一...

スマホを買い換える

   数日前まで、iPhoneXsという機種を使っていた。  最初のiPhoneは、3だったのではないかと思う。その頃は、携帯電話は二年おき くらいで買い替えていた。当時は、機能の向上も大きかった。しかし、じょじょに買い替え期間は長くなった。Xsの場合、発売が2018年であるから、ひょっとすると、7年近くなるのかもしれない。驚いたことに、このiPhoneXsは、この間まったく故障せず、液晶も傷つかず、バッテリーの性能も落ちなかった。しかし、さすがに、昨今、この機種では対応できないアプリや機能も出てきた。液晶画面は綺麗でも、貼ってある保護シートには傷がついている。そろそろ買い替えの時期だと覚悟した。  今までの買い替えの時は、半分は仕事上の道具という認識があり、多少値が張っても、それほどには悩まなかった。しかし、無職になった現在では、高い機種においそれとは手を出しにくい。安価なアンドロイドという選択も考えた。iPhoneSeという選択肢も考えた。候補にしていたiPhoneSeは新しい世代では発売されなかった。色々悩んだ末、iPhone16eに落ち着いた。わたしは、あまり写真を撮らないので、これで十分だと判断した。  最近、スマホはネットで買うのが主流だという。前回の買い替えの時は、携帯屋の店頭で購入した。電話の設定は携帯屋の店員に頼んだ。だが、設定の移行は自分でやった。ひどく簡単だった記憶がある。ネットの情報をみると、電話の移行もそれほど難しくはないようだ。ということで、今度はネットで購入した。翌日、ついてしまう。  設定の移行は前回、経験したとおり簡単に済むように思えた。しかし、これまで使っていた電話のSimを無効にし、新しい電話のSimに移行しなければいけない。これが、簡単そうに思えたのだが、じつのところ、なかなか面倒だった。ポイントになる手続きのページへのリンクがわかりにくかったでのである。まあ、諦めずにあれこれやっているうちに、やっと正解に辿り着き、新しいiPhoneの回線が使えるようになった。アプリや写真などは簡単にコピーされた。結構面倒と言われるLineの移行も順調にすんだ。  簡単じゃないか、と安心した。ところが、ここから、新しい問題に遭遇したのである。  銀行の情報を見ようとアプリを起動したところ、古いiPhoneの情報が生きていて、こちらに権...

歌鉄だったのか。

  もう随分、昔のことである。アメリカ橋という歌を聞いたことがあった。「アメリカ橋って知ってますか」という歌いだしである。放送作家だった奥山光伸という人が作詞しており、自分で歌っていたのである。不確かだが、当時、この人のラジオ番組を聞いていて、その番組でこの歌を知ったような気がする。ただし、この唄は、アイドルっぽい女の人が歌っていたバージョンもあったように記憶していた。ただ、最近ではラジオなどでもかからないので、記憶の彼方に霞んでいたのである。  Youtubeは思いがけないものを紹介してくることがある。あるひ、この「アメリカ橋」がわたしのタイムライン(というのか?)に出てきたのである。わたしが古い台湾の歌を聞いているので、それに関連して紹介されたのかもしれない。画面は、若い女の歌手が写ったジャケットである。それに、昔の音源が流れるだけである。しかし、たしかにあの懐かしい「アメリカ橋」である。この女性歌手、湖東美歌という人で、1976年に発表されたものらしい。大ヒットしたという記憶はない。期待したほどは売れなかったのだろう。このB面以外の情報がない。作詞者の奥山光伸が自分で歌ったバージョンはよくねん、発売されている。素人っぽい歌唱ではあるが、このシンプルな歌にはそれも悪くない。さらに1979年に兄弟デュオの狩人がカバーしているとある。おそらく、このバージョンが一番売れたのだろうが、わたしにはまったく記憶がない。  Youtubeで聞いて、あらためて、この歌がわたしにとって、胸キュンソングであったことを確認した。そして、私以外にもそういう感情を懐いている人がいることも知らされた。  ちなみに、アメリカ橋というのは、歌の中で説明されているように、目黒と恵比寿の間にある鉄でできた青い橋のことである。これも歌詞にあるが、その下を山手線が音をたてて走っている。正式名称は、恵比寿南跨線橋というらしい。わたしも、通ったことはあるのだろうが、まったく意識したことはない。  この歌に、雰囲気が似ている歌に、「池上線」という歌がある。こちらは、西島三重子という歌手が歌っており、こちらの方がヒットしたようである。といっても歌っている人をアイドルにするほどではなかったようだ。この人は、その後も音楽活動を続け、歌のトレーナーなどもしているようである。  この歌に思い入れのある人は、か...

流行り唄の無常感

  流行歌の無常感  世界中で、さまざまな問題が起きて、呑気なことを書いている場合ではないのかもしれないが、まあ呑気なことを書くことくらいしかできないので・・・。  台湾で、日本の流行り唄がよく歌われるという事例は、かなり多い。その中には、元が日本の歌だったということなどもはやどうでもよくなるくらい、台湾の人の心に入り込んでしまったものもある。代表例は、吉幾三の「酒よ」という歌だろう。この歌は、「傷心酒店」という題名で親しまれ、台湾の人なら知らない人はいないだろう。日本における「酒よ」の位置とは、比べるべくもない。  これも、だいぶ古いが、沢田研二の唄に「時の過ぎゆくままに」という曲がある。しっとりとしたバラードである。この歌も、台湾で親しまれていて、今でも演奏されている。ロック歌手の伍佰がカバーしている。台湾での題名は「我愛儞一万年」である。歌の最後の歌詞もこの言葉になっている。日本の歌詞では、時の過ぎゆくままに愛し続けるというのだが、それを一万年愛し続けると訳したことになる。Youtubeで見ていると、最後のこの部分を、聴衆が楽しそうに声を上げて歌っている場面が映っている。日本の原曲は、当時の沢田研二の傾向にそって、ややデカダンスの気配の漂う調子になっている。伍佰の唄は、これとは対照的で、明るく元気いっぱいなのである。まあ、一万年も愛するというのだから、元気も必要だろう。  沢田研二の唄のデカダンスは、時の流れに流されながら、愛し続けるという、時間への態度と結びついている。よく使われる表現でいうなら、無常感である。愛を貫くということが、時間への感覚の違いで、まったく異なる表現になってしまうのである。  日本で暮らしていると、季節の移り変わりについての、こうした感覚は、当然のことと受け止めてしまう。しかし、台湾のように、四季がない地域の人は、どうもこのへんの感じ方が違うようなのである。(というか、日本的な四季のある地域の方が珍しいのだが。)秋に葉が色づいて、道に散る情景というのは、普遍的なものではない。(「四季の歌」という歌が中国で流行ったことがあるが、この歌は季節を歌ったも_のにしては、珍しく無常感が表にでておらず、他の地域の人にも抵抗がなかったのではないだろうか。)自然環境決定論が、決定的に正しいわけではないのだが、まったく自然環境の影響がないといこと...