歌鉄だったのか。
もう随分、昔のことである。アメリカ橋という歌を聞いたことがあった。「アメリカ橋って知ってますか」という歌いだしである。放送作家だった奥山光伸という人が作詞しており、自分で歌っていたのである。不確かだが、当時、この人のラジオ番組を聞いていて、その番組でこの歌を知ったような気がする。ただし、この唄は、アイドルっぽい女の人が歌っていたバージョンもあったように記憶していた。ただ、最近ではラジオなどでもかからないので、記憶の彼方に霞んでいたのである。
Youtubeは思いがけないものを紹介してくることがある。あるひ、この「アメリカ橋」がわたしのタイムライン(というのか?)に出てきたのである。わたしが古い台湾の歌を聞いているので、それに関連して紹介されたのかもしれない。画面は、若い女の歌手が写ったジャケットである。それに、昔の音源が流れるだけである。しかし、たしかにあの懐かしい「アメリカ橋」である。この女性歌手、湖東美歌という人で、1976年に発表されたものらしい。大ヒットしたという記憶はない。期待したほどは売れなかったのだろう。このB面以外の情報がない。作詞者の奥山光伸が自分で歌ったバージョンはよくねん、発売されている。素人っぽい歌唱ではあるが、このシンプルな歌にはそれも悪くない。さらに1979年に兄弟デュオの狩人がカバーしているとある。おそらく、このバージョンが一番売れたのだろうが、わたしにはまったく記憶がない。
Youtubeで聞いて、あらためて、この歌がわたしにとって、胸キュンソングであったことを確認した。そして、私以外にもそういう感情を懐いている人がいることも知らされた。
ちなみに、アメリカ橋というのは、歌の中で説明されているように、目黒と恵比寿の間にある鉄でできた青い橋のことである。これも歌詞にあるが、その下を山手線が音をたてて走っている。正式名称は、恵比寿南跨線橋というらしい。わたしも、通ったことはあるのだろうが、まったく意識したことはない。
この歌に、雰囲気が似ている歌に、「池上線」という歌がある。こちらは、西島三重子という歌手が歌っており、こちらの方がヒットしたようである。といっても歌っている人をアイドルにするほどではなかったようだ。この人は、その後も音楽活動を続け、歌のトレーナーなどもしているようである。
この歌に思い入れのある人は、かなり多いようだ。そういう性格の作品である。あの頃の時代の雰囲気の濃厚な曲ではある。「アメリカ橋」より、こちらの方が発売が早く、1975年とある。この頃、わたしは一二度、池上線に乗ったことがあるが、現実の池上線に乗った時には、この歌を意識したことはない。この頃は、私の中で、歌と現実が繋がっていなかったのかもしれない。
いずれにしても、わたしが曖昧な?人生を送っていた時期である。
以前、書いたが、わたしは竹内まりあという歌手が苦手である。だが、その「駅」という歌だけは、聞くとしんみりしてしまう。この歌は1987年に発売されているらしいが、わたしは当時、まったく知らなかった。認識したのは、かなり後のことである。
こんな取り止めのないことを考えているうちに、突然、気づいたのである。これらの歌がすべて、鉄道が重要な要素になっているということを。数日前まで、まったく気づかなかったことである。鉄道の出てくる歌を聞くと、どうも歌手の好き嫌いを超えて、身に沁みてしまう傾向があるのだ。わたしは、まったく鉄道ファンではない。それが、まさかの歌鉄だったとは・・・。ちょっとした驚きである。
そう思って、あらため考えてみると、さらに気づくことがある。
中島みゆきは、竹内まりあとは逆で、一頃、よく聞いていた歌手である。なかでも、気に入っていたのは、「ホームにて」という曲である。わたしは、演歌はあまり好きではないのだが、石川さゆりの「津軽海峡冬景色」は、さすがによい作品だと思う。どちらも、鉄道の歌なのである。
2025/04/13
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