『阮籍の「詠懐詩」につてい』を読んだ。
先週、長年の積ん読本の中から、たまたま『阮籍の「詠懐詩」につてい』吉川幸次郎(岩波文庫)を手に取って、開いてみた。1981年に第一版が発行されており、わたしが持っているのはその版である。今、amazonで調べたところ、在庫切れらしい。
阮籍といっても、すぐに誰だかわからない人が多いのではないだろうか。竹林の七賢人を代表する人物といえば、多少はイメージがわくかもしれない。わたしの知識もその程度である。この人の詠懐詩は、文選に収録されている。文選は日本で古代から親しまれていた文献で、枕草子で清少納言が褒めているくらいである。したがって、詠懐詩は日本文化にも大きな影響を与えたのだと思われる。阮籍は、この世のはかなさを強調する。仏教的ではないのだが、一種の無常観にのっとった作品が多い。平安時代以降、日本文化の重要な要素となる無常観の先駆をなす表現といってよい。日本の遁世の思想は、阮籍の影響を受けていると考えられる。
ところで、吉川の文章(論文といってもよいだろう)は、1955年と1956年の二年にわたって「中国文学報」という雑誌に掲載されたものである。この雑誌は、研究者を主たる対象とした専門的な雑誌である。したがって、この文章は、阮籍の詩に注釈を加え、観賞を手助けするというものではない。その目的は、阮籍という文人思想家の思想の特質を明らかにすることである。わたしのような素人が必要とする、細かい語釈は省かれている。そこは、自分で勉強しなさいというわけであろうか。しかし、吉川の文章だけでも、分からない部分はあちこち残るが、阮籍の作品の魅力はなんとなく伝わってくる。
この文章で気になるのは、吉川が阮籍を自立した合理主義者として描き、その点を強調していることである。吉川は阮籍を近代的な知識人として評価しているように見える。その人間像は、丸山真男が打ち出した近代人のイメージ、すなわち合理的に思考し、自己に責任を持つ知識人そのものであろう。阮籍は中国三世紀の人間である。二十世紀の知識人とは同じような視点で評価することには無理がある。たとえば、その強烈な無常観は、近代の個人主義とは相容れない。
岩波文庫本の解説は、荒井健という人が書いている。吉川幸次郎の弟子で、後に京都大学の教授になっている。その弟子からしても、吉川の記述についてやや違和感を覚えたのであろう、「清潔な理想主義と進歩史観」と説明している。師の文章へのあからさま批判は避けつつも、一言は加えたかったのだろう。
竹林の七賢人といえば、異端的な人々である。社会の枠からはみ出したすね者である。あるいは、吉川はそうしたイメージから意図的に離れようとしたのかもしれない。
2026/07/05
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